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野仏に出会う

投稿日 2024年01月14日

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年が明けて10日たらず。この時季、雪山も歩きたいものだが、どうもこの歳になると里山をのんびり歩くのがちょうどよいようだ。まぁ、日和見登山といえばそれまでだが、背中に陽光を感じながら山里の石仏と会話しながらのんびり歩くのも一興だ。

登山口へ向かう道すがら。または山から降りてきて愛車や駅に向かう道すがら。のどかな山里の一角にお堂があったり、石仏が集まっていたりする。お堂は地蔵堂であったり、観音堂であったり、または、阿弥陀堂、薬師堂、釈迦堂、閻魔堂など様々だ。石仏は地蔵菩薩、観音様、馬頭観音、文殊菩薩、釈迦如来、阿弥陀如来、如意輪観音、青面金剛など。その種類は多い。石仏ではなく石碑になるかもしれないが、庚申塔や青石塔婆、道標なども多い。

石仏は里の路傍であったり、峠、山道などでよく見かける。昔、馬が往来した古い道などでは馬頭観音が多い。里の寺の境内や、村の一角では庚申塔が多い。大日如来などは山頂で見ることが多い。そのほとんどは雨風にさらされているが、いくつかは小さなお堂の中に納まっているものもある。大きなお堂には木造の仏像が収まっていることが多い。いずれにしても、地元の人たちに大事にされていると感じるものが多い。

お地蔵様は赤い頭巾や前掛けを付けていることが多く、そんなお地蔵様が六体並んだ六地蔵もよく見かける。中にはおしろいを塗って、口紅をさしているお地蔵様もある。残念なのは廃仏毀釈の時であろうか、石仏の頭が無残に取り去られているものも多い。おろかな行為である。

また、石仏は昔からその場所にあったものかはわからない。何らかの事情でそこに移設されたものかも知れないからだ。よく道路工事などで、路傍に集められた石仏を見ることがあるが、なるべく元あった場所から移動させてほしくないものだ。

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​埼玉県比企郡ときがわ町の十王堂

先日、埼玉県比企郡小川町の山里を歩いていたら、十王堂というお堂があった。帰って調べてみたら、十王というのは閻魔様をはじめ、あの世の裁判官のような方々だそうだ。蓁広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王というらしい。様々なお堂を見てきたが、十王堂というのは初めてだった。

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地蔵菩薩と思われる

​首のあたりに修復の跡が見える

​少しお顔をかしげている感じが愛らしい

その十王堂の前の南斜面にいくつかの石仏があった。地蔵菩薩、如意輪観音、三十講の石仏の三体だ。地蔵菩薩はおそらく頭が折れたのであろう。目立たないようにうまく修復されているが、お顔やややかしげている感じになっている。。如意輪観音は右手を頬に添えており、宝輪を持っているのでそれと分かる。しかし宝珠が見当たらず、代わりに?幼児を抱いているのは不思議だ。三十講の石仏は、最初、庚申の青面金剛かと思ったほどいかめしいお顔をしているが、よく見ると違うようだ。お顔が三面あり、腕が複数ある。不思議なのは正面のお顔の頭部に馬の頭部のようなものが有る点だ。そうなると馬頭観音? 不思議な像である。台石にに三十講中と刻まれている。

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手を頬に沿え宝輪をもっているので、如意輪観音と思われるが、

肝心の宝珠がなく、代わりに幼児を抱いている

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台石に三十講中と刻まれている石仏

​一見庚申の青面金剛かと思ったが、そうではないようだ

額上には馬頭観音に見られる馬頭のようなものがある

石仏に出会うことは、登山の楽しみのひとつである。まったくその気配さえない山もあるが、低い山でも、高い山でも、多く祭る山もある。とくに里山やその麓の集落にあって、大事にされているものは多いし、奥山に入っても、ときどきどうしてこんなところに?と思うようなところに、ひっそりと立っていることもある。

石仏があるということは、昔その道を多くの人たちが歩いた証拠である。さまざまな理由で通り過ぎたのであろう人たちを見てきた石仏たち。時代ともに消えていく運命の石仏たちだが、少しでも長く私たちの心を和ませてほしいものだ。

​(雅熊)

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