峠考 「魚尾道峠」

投稿日 2016年11月07日

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坂本と神流川の魚尾を結ぶ魚尾道があった?

その魚尾道はどこを辿ったのか?

(国土地理院電子国土地図に情報追加)

 

 

峠という言葉、なぜかそれを聞くだけで懐古の念にかられるのは私だけでしょうか。今回とり上げる「魚尾道峠」(よのおみちとうげ) (魚尾峠ともいうようですがここでは魚尾道峠としました)にも、聞いただけでそんな念が湧きあがり、古人の生活の様子、このあたりの集落間の交流はどのようなものであったか、想像力をかきたてられます。

 

佐藤 節さんの「西上州の山と峠」によれば、現在国道299号が埼玉県から群馬県に越える手前。二子山(ふたごやま)、両神山(りょうかみやま)の麓、河原沢川(荒川水系)の辺りの集落。この辺りの昔の生活はたいへん苦しかったようですが、細々と炭焼きや蕎麦、コンニャク等を生業にして生活が営まれていたとのこと。

 

そんな河原沢川の埼玉県最奥の集落「坂本」には、国土地理院の地図を見ると、「魚尾道」(よのおみち)と記されています。(地図参照)

 

また、目を群馬県の神流川流域に転じると、今の神流町の多くの山村の中に「魚尾」(よのお)という地域があるのが分かります。

 

魚尾道とは、坂本から、この神流川(利根川水系)の谷にある魚尾を結んでいた道ではないかと思われます。

 

坂本にある「魚尾道」と記された道は、二子山の仁平沢(じんぺいさわ)に沿い二子山に向かって延びているように見えますが、さてこの道はどこを通って群馬県側の魚尾に貫けていたのでしょうか。

 

その前にこの魚尾には古い伝説があるようです。佐藤 節さんによれば、

 

「おなかが空いた旅の神様は、村人の捧げたお魚を、しっぽまでムシャムシャ食べてしまわれました。それらの神様が休まれたその村を、魚尾と呼ぶようになったそうです。」

 

さらに、魚尾道とは、「その神流川魚尾に越える道すがらの二子山懐にある山村の名なのです。」とあります。

 

魚尾道と言いながら、それは山村の名前とのことですが、どうやらこの狭い二子山懐に魚尾道に沿って点在した民家のことのようです。

 

とはいえ、魚尾道という道があったことには変わりないと思うのですが、そのルートが分かりません。二子山懐から神流川側へと貫けるにはどこを通過するのがよいか、地図を想像力を豊かにして眺めます。

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二子山から見下ろす魚尾道峠(中央)

埼玉県側は伐採や側林が盛ん。群馬側(右)は自然林のまま

2016年11月5日撮影

 

そこで引いてみたのが上の地図にある赤破線のルートです。「魚尾道峠」の位置はネット上の情報からほぼ間違いないと思われます。問題は坂本からどのようなルートで魚尾道峠に至り、どのようなルートで神流川の魚尾に貫けたかです。

 

佐藤 節さんによれば坂本から500mもの高差を登り、「叶後」(かのうじろ)から魚尾に貫けたとあります。500mの高差は、坂本から県界の尾根までそのくらいあるのでその通りですが、詳しいルートはわかりません。それでは想像力を逞しくして。

 

A. 最も短距離で貫けるルート(地図上のルート① - ②)

 

坂本から仁平沢沿いの道を行き、今は植林帯となっている斜面を少し登ればそこは魚尾道峠です。埼玉と群馬の県境です。ここから群馬側へは谷筋をほぼ一直線に下れば、叶山と円岩(まどかいわ)または丸岩との間の小平地「叶後」(かのうじろ)です。叶後には民家があり生活があったようです。道は叶後を経由して叶山と円岩の隙間「牢口」(ろうぐち)を通過。神流川の枝沢に入り、神流川へと辿ったと考えるルートです。このルートで坂本から神流川に出るまでの距離は約2.5Kmと最短です。しかしこのルート上、二子山懐に民家が点在できるような場所はほとんどありません。

 

B. 民家が点在する尾根を辿るルート(地図上のルート③ - ②、または③ - ④)


③は現在二子山への登山ルートがある尾根です。この尾根は県界尾根から派生するこの辺りでは比較的大きな尾根で、末端は河原沢川にまで至っています。実際に歩いてみると、送電鉄塔の下辺りから民家があってもおかしくないような小平地がところどころにあるのがわかります。今では植林されて暗く、雑然としていますが。ひょっとしたらこの辺りに生活があったのかも知れません。

 

Aルートよりは距離がありますが、安定した尾根道で人家も多く安心して使えたルートと思われます。もし、②の叶後に下る谷筋が悪ければ、魚尾道峠から少し志賀坂峠方向に戻ったところから叶後に向かって派生する尾根(④)を下ることもあったかも知れません。

 

 

その後、魚尾道のルートが判明しました。想定ルートは少し違っていました。

 

関連記事: 峠考 「魚尾道峠」その2

 

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この山域はそんなに山深いところではなく、二子山などは別として、あまり険しい地形ではありません。このため上記ルートの組み合わせや、適当な尾根や谷筋を使ったことも考えられます。

 

現在、魚尾道峠は、二子山西岳に登るルートの一端であることから、頻繁に登山者の往来がありますが、ここから叶山方面への谷筋や尾根は、叶山鉱山開発のため昭和57年に規制されて以降、入山することができません。このため道の存在を確かめるすべはなく、実際に歩いてみることもできません。実際に歩けばなにか痕跡が見つかるかもしれませんが残念です。

 

補足ですが、今は国道299号が通る「志賀坂峠」には187年前の馬頭観音があり、昔から往来に使われていたものと思われますが、この志賀坂峠を越えて神流川「神ヶ原」(かがはら)あたりへ貫けるには約4.5Kmもの道を歩かなければなりませんから、魚尾道が想像したようにあったとしたらずいぶん省エネだったに違いありません。

 

また、二子山の西岳と東岳の間に「股峠」(またとうげ)という峠もありますが、この峠を越えても、向こうは荒川水系ですから、群馬側の神流川に出るためには、もう一度山を越えなければなりません。

 

さて、埼玉最奥の坂本あたり。魚尾道の山村でつくられた炭などは、魚尾道峠を越えたのでしょうか。佐藤 節さんによればこの地で作られたコンニャク芋が魚尾を経て、遠く下仁田まで運ばれたというのですから、この辺りの人たちが必至に生きていた姿が浮かびます。いまではそんな昔の暮らしは想像するしかありません。

 

 参考: 新ハイキング社「西上州の山と峠」 佐藤 節著

 

 

 

 

(熊五郎)

コメント(3)

  • 私は「峠」「畑」「辻」などの国字が好きです。自分でも字を作りたくなります。でも峠道はやっぱり苦手です。 (agewisdom) 2016/11/7(月) 午後 2:32

  • こんにちは。ランダムブログより勝手ながら訪問させて頂きました。貴方のブログを拝見致しましたが、とても素敵なブログですね。実は私もブログを公開しております。貴方のブログほど素敵ではありませんが、もし良かったら見に来て下さい。
    内容は四コマ漫画でして、タイトルは「ボクら川越で警備員でーす!」と言います。きっとストレス解消になると思いますので、どうかよろしくお願い致します。
    kei***** ]2016/11/7(月) 午後 4:46

  • > agewisdomさん 私には国字と漢字の区別がつきませんが、漢字にない表現を補完するために作られたのでしょうか。だとすればどのような理由でそれぞれの文字が作られたのか興味のあるところです。「峠」は私も好きな字のひとつです。(熊五郎) 2016/11/7(月) 午後 5:22