峠考 ブナ峠 飯能市北川 - 比企郡都幾川村椚平

投稿日 2021年02月11日

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奥武蔵概念図

今回はブナ峠です。ブナとカタカナで書きましたが、峠の現場に立つ道標には漢字で「木偏に義」となっています。また、峠にあるブナ峠を詠った石田波郷の歌碑では、「山毛欅」と書いてブナ峠と読ませています。一般的には「木偏に無」橅と書くのですが。

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ブナ峠

正面が登山道

階段の上に石田波郷の歌碑と四辻の道しるべがある

右の道はここで合流する日向根からの道

ブナ峠は、埼玉県飯能市と比企郡ときがわ町の境にある峠です。顔振峠、高山不動、飯盛峠、ブナ峠と通過したスカイラインは、更に刈馬坂峠(かばさかとうげ)、大野峠、高篠峠、白石峠、定峰峠、粥新田峠(かいにたとうげ)、釜伏峠へと延々と続きます。ブナ峠はほぼ中央に位置し、周辺には、ときがわ町に慈光寺。飯能側に高山不動や子ノ権現天龍寺。そして秩父側に秩父札所一番の四万部寺(しまぶじ)があります。

江戸、川越から秩父に入る場合は、飯能から高麗川沿いに吾野を進み、正丸峠を越えて横瀬から秩父大宮に入ったようですが、札所巡礼者は札所一番が東寄りの栃谷にあるため、粥新田峠や定峰峠を使うケースも多かったようです。ただ、巡礼というのはいろいろ寄り道をするものらしく、札所一番の前に慈光寺や高山不動、子ノ権現に寄ったりしたようで、その際にはブナ峠が大きな役割を持っていたようです。

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ブナ峠 四辻の道しるべ

四方面

実際ブナ峠には四辻の道しるべがあります。その道しるべには、

「子のごんげん江 志こうミち たか山ふとう江 ちちぶ一ばん目江 安永三年」

(さきたま双書「峠 秩父への道」より)

と刻まれています。安永三年は1774年ですから247年前。江戸中期です。子のごんげんとは子ノ権現天龍寺(南南西 直線距離6.4km)のこと。志こうとは坂東三十三箇所九番札所慈光寺(北東 直線距離5.9km)のこと。たか山ふとうとは高山不動(南東 直線距離3.1km)。ちちぶ一ばん目とは秩父三十四箇所札所一番四万部寺(北西 直線距離10.1km)のことです。往時はこの道標を見て、それぞれの目的地へと向かったのでしょう。

ブナ峠から子ノ権現天龍寺までは岩井沢を下って高麗川の流れる吾野まで下り、小床から天龍寺まで登り返したのではないかと思われます。天龍寺の手前P462の近くに「天寺十二丁目石」があります。

ブナ峠から高山不動へは飯森峠を経て高山不動奥の院のある関八州見晴台に至り、そこから少し下れば高山不動です。高山不動から子ノ権現天龍寺に行く人もあったことでしょう。

ブナ峠から慈光寺へは日向根から多武峰の山里、ときがわ町西平の宿へと下って再び登り返したと思われます。ブナ峠から日向根に向けて少し歩くと、おそよ地蔵や砥石の大檜があり、往時がしのばれます。

ブナ峠から秩父札所四万部寺へは、尾根伝いに行くなら刈場坂峠から大野峠、高篠峠を経て、定峰峠から定峰の集落を抜けて栃谷の四万部寺に下ったのかも知れません。高篠峠から定峰峠まで登り返さなくても、高篠峠から谷筋を栃谷に下れたかも知れません。いずれにしても距離があります。栃谷から定峰の集落に入る登り口に元禄九年丙子の標石があり「左大河原道 右ぢこう道」とあります。大河原村は、現在の東秩父村の一部です。ぢこうとは、慈光寺に違いありません。ただし、この場合、高篠峠か白石峠から都幾川沿いに慈光寺まで歩いたのかも知れません。

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ブナ峠 石田波郷の歌碑

「万緑を 顧みるべし 山毛欅峠」

さて、ブナ峠はいまではグリーンラインという舗装林道が通過するところで、日向根へ下る道が分岐しています。岩井沢へ下る道は未確認です。登山道はブナ峠から稜線に忠実にすぐ上の丸山へ登っていますが、数段の階段状からはじまるその道には、すぐに前述の四辻の道しるべとともに、石田波郷の歌碑があります。

「万緑を 顧みるべし 山毛欅峠」

歌の解釈は私には出来ませんが、私は新緑などを歌ったものではなく、戦時中だったこのころ、馬鹿げた戦争はやめろと言っているような気がします。

峠の標高は780mくらいです。植生としてブナがあるかどうかはよく分かりません。東側のときがわ町は昔から木の町。植林が盛んなところですから、この辺りも植林帯は多いようです。ただ峠付近は自然林も残されています。

​何処からかてくてく歩いてきた人は、この峠にたどり着いて何を思ったのでしょうか。遥か向こうの関東平野を見て、はるばるやってきたなと思いつつ、これから行く秩父の山並みを見て、まだまだ遠いなと感じたことでしょう。

(雅熊)