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機織の神 身近に感じる女神のロマンス

​​投稿日 2020年02月03日

米子沢.jpg

米子沢源頭

 

山に入るとここには神がおあすと感じることがあるものだ。そこここにある石祠や石仏。今でもそっと置かれたお札やしめ縄と神垂(しで)。神の領域である。

 

新潟県の巻機山は機織の女神で知られる。タエハタチヂヒメノミコトが祭られた神社が麓の清水の集落に鎮座する。この山は全体的にはのっぺりしているが、米子沢(こめごさわ)と割引沢(われめきさわ)が深く食い込み、岩塔や岩壁を秘めている。雪の多い越後の山は優しそうに見えて厳しく。厳しそうに見えて実はやさしい。そんな山である。

女神の山だと感じるのは米子沢を遡行してみるとよくわかる。滑(なめ)の水流を辿って原流域に達すればそこはお花畑であり、まるで美しい女神たちが遊んでいそうな草原である。

私はある年の夏、麓の清水の民宿に泊まって、翌朝米子沢を遡行して巻機山に登ったことがある。

なじみの民宿に着くといつもの二階の部屋に通された。万歳すると天井に手が届きそうだが妙に落ち着く。初めてこの部屋に泊まったとき、窓の手すりに熊の皮が干してあったのを泊まるたびに思い出す。

関東から清水まで結構時間がかかるのでまだ明るかったがちょっと横になっていた。下から若奥さんが夕飯の支度ができたと呼んでいる。階段をぎしぎし鳴らしながら一階に下りると居間の方で呼んでいる。すでに家の人が揃っていた。居間には天井に届く大きな仏壇があったのを思い出す。ご家族と一緒に夕飯をいただいて、二階にもどって置かれていた「山と仲間」などの雑誌を読んでいると、下からまた若奥さんの声がした。

「もうすぐ火渡りがはじまるから、行って参加してきなさい。」

「ええ? 火渡りなんかできませんよ!」

「何言ってんの、早く早く。」

わけが分からないまま少し上にある神社に急いだ。すでに大勢の人が集まっていて、もうもうと燃える火の中を修験道の格好をした人が次々と呪文のようなものを唱えながら渡っている。火がおさまった炭を歩きやすいように両側に分けて道が作られ、一般の人たちが渡り始めた。部外者の私でもいいの?と思いながら靴を両手に持って裸足で渡った。宿に帰って聞いて、神社にタエハタチヂヒメノミコトが祭られていることを知った。その夜はさぞ美人の神様だろうなぁと、想像しながら眠りについた。

 

翌朝、米子沢を遡行して巻機山に登った。新潟の山は一種独特の雰囲気がある。源頭部は草付きの斜面となって水流が消えるが、そこはお花畑である。私は前夜の火渡りを思い出していた。咲き乱れるハクサンコザクラがひとつひとつ女神のように感じながら水流を忠実に辿った。なにも知らずに山に登っている私を機織の女神に逢わせてくれた若奥さんにも感謝した。

 

松任谷由美の「リフレインが叫んでいる」でも聴いてみるか。

 

 

 

(熊五郎)

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