山の名著 「氷壁」                                                                       投稿日 2018年2月11日

 

今回は井上 靖の「氷壁」をとり上げた。長く本棚にあったが、久しぶりに読み返してみた。以下は私の解釈であることを断わっておく。付属の解説や深田久弥の書評、ネットの情報などはあえて読んでいない。

 

「氷壁」は1956年から57年にかけて新聞に連載された長編小説で、映画化もされている。写真の単行本は新潮社の井上 靖小説全集全32巻の第13巻だ。この巻には「氷壁」のほか、短編の「山の少女」「チャンピオン」「花のある岩場」が収録されている。井上 靖としては私が唯一所有している巻である。

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新潮社 井上 靖小説全集第13巻 「氷壁」と付録

昭和48年8月20日発行 昭和53年4月15日 4刷

付録13巻解説 福田宏年 作品評再掲 魅力ある登山小説「氷壁」深田久弥

ただ穂高だけ 井上 靖

 

「氷壁」を山の名著としたが、内容は山で起こったナイロン・ザイル切断事件の原因追及とそれに伴う人間模様がえがかれた小説だ。氷壁登頂中に切れたザイルをめぐって、事故なのか事件なのか? ザイルは切れたのか、切られたのか。登山者主人公と周りの心理、葛藤がえがかれている。

 

主な登場人物は魚津、小坂、八代美那子、八代教之助(美那子の夫)、常盤(魚津の上司)、かおる(小坂の妹)、小坂の母など。

 

魚津と小坂は学生時代からの山仲間で、穂高の冬季未登の岩壁を登る計画を立てた。

 

小坂は前から美那子に気を寄せていた。それは今でいう不倫ということになる。魚津は美那子から頼まれて小坂への拒絶を伝えたが、小坂は今でも美那子のことを想い続けている。

 

魚津と小坂は昭和31年の元旦に計画を実行した。事故は、氷壁(アイスクライミングのような氷壁ではなく、雪をかぶった垂直に近い岩壁であろう)となった岩壁上部の最後のピッチで、小坂にトップを交代して登攀を再開した直後に起こった。

 

その頃決して切れないとされていたナイロン・ザイルだが、生還した魚津は事故の瞬間、小坂が落ちて行ったとき、まったく衝撃を受けずにザイルが切れたと言う。

 

そしてこの事故は、ザイルのメーカーや週刊誌記者などが入って、ザイルは切れたのか、切られたのか、切れたとしたら何が原因か。切ったとしたら切ったのは小坂の自殺なのか、魚津なのか。さまざまな憶測が飛び交う中、切断再現実験などによって真実は何なのかが追究されていく。読んでいる誰しもが様々に切れた原因をあれこれ想像すると思うが、私は、ただひとつ意外な原因のひとつが最後まで頭に浮かばなかった。それは、事故の半年後の夏、魚津が穂高の滝谷で、あることが原因で遭難死してしまったことにヒントがあると思っている。

 

このような小説を読むとすぐに引き込まれてしまう私は、登場人物がどのような人間かをいろいろ想像してみる。

 

魚津と小坂は山好きの人間で、氷壁を登る高度な登頂技量の持ち主であり、相当な精神力を持った純粋な人間と思える。

 

美那子は、常盤が初めて美那子に会ったとき「鶴が舞い降りたような」という表現をしていることから相当な美人であろう。私は即座に仲間由紀恵のような女性を思い浮かべ、奥ゆかしい日本的美人を想像した(笑)。小坂はこの美人に惹かれたのである。

 

小坂の妹のかおりは、まだ若いが友を失った魚津を気遣う優しい女性である。魚津を愛し、魚津から結婚の約束をもらっていたが、魚津は山小屋で待つかおりの元に行こうとして滝谷で遭難してしまう。かおりは兄を失い、そして結婚の約束までした魚津まで失った不運な女性と言えるが、最後のかおりの思いのようなものが、ふたりの死を越えた未来へと続く希望を感じさせる。

 

魚津の上司の常盤は、事故前から魚津と登山という行為に対して彼なりの考えを魚津にぶつけるが、給料の前貸しや、休暇の許可を出す理解も示す男だ。また常盤の魚津や八代教之助に対する雄弁は、読者に対して登山と言う行為の一般的な見方を感じさせるもので、山に登るものは山で死ぬと予感させる。それは常盤の持論であるが、どこか井上 靖が、この小説に散りばめた山に登るものの純真さと正義感の表現であるように思えてくる。

 

八代教之助はかなりの年齢差の若い美那子と結婚した会社の経営者だ。その会社というのはザイルの原糸(ナイロン糸)の供給会社である。また、常盤を上司とする魚津の会社は、その原糸からザイルを作った製網会社であり、八代の会社が株主でもある。ザイルが切れるか切れないかの切断再現実験は、八代の会社で行われることになった。

 

主人公と言える魚津の会社は、自分が使ったザイルの製造会社であり、死んだ小坂はそのザイルの原糸を供給している会社社長の若妻を愛していたという。まぁ、都合よくできた構図である。このため、魚津たちの事故は、ザイルの製造会社から、原糸会社で株主でもある八代の会社に対して、けっして切れないとされていたナイロン・ザイルが実際は切れたという問題を突き付けた形になっている。

 

井上 靖は、この小説のヒントを1955年に北鎌尾根で起きたザイル切断遭難事件から得たと言われている。別に山でなくとも、ザイルでなくともよい訳だが、山という、しかも冬季の雪の岩壁で、ふたりの登攀者だけの世界で起きたことに加え、登山という純粋な山への行為と、友情、そして恋愛。その頃技術の粋を集めて造られたナイロン・ザイルという製品に対する期待と現実。そして自然という外力。そういうものが複雑に絡み合った小説である。

 

しかし、井上 靖は特定の登場人物を悪者にしたり、原因を一点に絞り込むようなことは一切していない。登場人物はみんな正しく生きている人々である。女性にありがちな嫉妬や思い込みによる屈折的な話の流れは無い。美那子とかおるの間に魚津をめぐる嫉妬のようなものは一部にあるが、それも遠慮がちに描かれている。小坂と美那子が付き合っているのではないかと疑いながらも、教之助の対応はおとなであり、小説自体、美那子と小坂の不倫があばかれそうな仕掛けは一部にはあるが、問題にはされない。

 

話の展開において不思議に思うのは、切れたザイルの一方を持っているはずの魚津が、それの切断面の検査をしなかった点だ。魚津は切れたザイルの片方を使って氷壁から降りて生還しているが、魚津自身も他もそれを調べようとはしなかった。ザイルの切断面の検査は、後の雪解けの頃発見された小坂の遺体に巻きついていたザイルの端で、やっと行われた。この検査でそれなりの答えは出たのだが、切断再現実験の前に検査が行われるべきだろうと思って読んでいた。

 

話は、最後に兄と結婚の約束をした魚津のふたりを失ったかおるの今後の行動を示唆して終わっている。

 

久しぶりに読み返して、若い頃感じた興奮が鮮明に蘇ったのは、やはり井上 靖の偉大さであろうか。

 

ちなみに、小説が書かれた当時はどうか知らないが、魚津と小坂が使用した太さ9mmのザイル(クライミング・ロープ)は、現在では補助用として使われることがあっても、それに命を託すような使い方はされない。

 

フランスの登山家、ロジェ・デュプラの詩「いつかある日」をかみしめてから読むのもよいと思う。

 

 

 

 

(熊五郎)

コメント(2)

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    新聞が来るのが楽しみで夢中になって読みました。懐かしいです。「氷点」「氷壁」どちらも氷に関係しているのが今考えてみると不思議ですが、どちらも読みごたえがありました。(agewisdom) 2018/2/11(日) 午後 11:12

  • > agewisdomさん 名作はいつ読んでも、初めて読んだ時の衝撃を再び味わうことができますね。(熊五郎) 2018/2/11(日) 午後 11:21