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切り花だとあまりもたないが、庭で咲いていると意外に長持ちする。夜にはすぼみ、朝にはまた開いて、強風にも意外と耐える。最近は色とりどりで、フリンジのあるものや、八重のチューリップも増えてきた。

 

そんなチューリップについてはすっぱい思い出がある。

 

中学生のころよく私の隣の席になった女の子に、卒業式の当日、式が終わってみんながてんでバラバラに帰宅しようとしている時、私はその女の子を探し出して、声をかけた。

 

どんな声をかけたかはご想像に任せることにするが、結局、今でいうところの「友達のままでいましょ。」ということになった。ガクリ 友達といっても、卒業すればおそらく会う機会はない。そこで苦肉の策として、「文通してほしいともちかけた。」相手は、いいよという返事。川に流されて去っていこうとする船を、細い紐でかろうじて繋ぎとめた気分。

 

その後、数年文通したが、あまり関心をもってもらえるようなことを書けたような覚えはない。その数年の間に、近くの公衆電話から何度か電話もしてみた。お父さんが出ないようにと願いながら....

 

ある春のこと、私は約束もできていないのに、なんとか頑張って会おうと思い、状況を作ってしまえば、事は前進し、よい展開が待っていると期待して、近くの市場の花屋でチューリップを買ってきた。店員がにやりと訳のわからない微笑みを浮かべていた。

 

買ってきたチューリップの束は、とりあえず机の上の棚の見えないところに置いておいた。親は女の子から手紙がくるので、文通していることは知っていただろう。こんなとき親は、うすうす我が息子に春がやってくるように願っていたはずだ。しかし、親にいまから会ってくるなんて、口が裂けても言えなかった。

 

さて、買ってはみたものの、このあとどうしていいやらわからない。行動に移す勇気もない。結局、チューリップは机の棚の上で開花。人目を忍んで、香りだけを漂わすこととなった。

 

チューリップも束ともなると結構匂うものだ。捨ててしまうのもかわいそうだし、そうかと言って家じゅうに花の香りが充満したりすれば、親にバレてしまう。夕飯のときなどに、花屋のような微笑みを浮かべる親の顔は絶対に見たくない。

 

かくして、チューリップの香りは、すっぱい青春の香りとなってしまった。

 

私にとっては(春)を思い出すチューリップ。彼女はその後どうしてるかなぁ。

 

 

 

 

(熊五郎)

コメント(2)

  • あらあらもったいない。でもそんなものかしら?素敵な思い出ですね。私の年代ってあまり男の子に興味なかったなあ。恋をしたのは大学生になってから。アラ、考えてみたら小学校から高校まで女子ばかりでしたっけ。それではお花もらうチャンスもない。甘酸っぱい思い出なんてないですね。 2017/4/15(土) 午後 2:40

  • > agewisdomさん 卒業アルバムを見ると目が探してしまいます。当時のままですね。あたりまえですが。でも相手は忘却のかなたでしょうね。そんなもんです。(熊五郎) 2017/4/15(土) 午後 3:52

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