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「花の百名山」 田中澄江

投稿日 2017年04年07日

花の百名山01.jpg

「花の百名山」田中澄江著 文藝春秋社

昭和55年7月発刊 362p

挙げられている山は深田久弥の「日本百名山」とは全く異なる

これを手本に花を見に行く登山者も多いと聞く

 

 

NHKのテレビ番組 BS百名山が、この本に紹介された山と花の一部を紹介したこともあってか、一時期この本の古書価格が跳ね上がったが、最近は落ち着いてきたので購入してみた。

 

田中澄江には多くの著作があり、非常に守備範囲の広い知識人だが、山と花を紹介するこの本においても、その非凡さがうかがえる。

 

挙がっている山は低山から高山までさまざまで、地方の里山的な山も含まれている。簡単な山の紹介と、そこで見つけた花々、その山にまつわる歴史や、著者自身のその山への思いがつづられている。

 

特徴的なのは、田中澄江が各山々の代表的な花をひとつ選んでいることだ。その数は表題通り、百座-百花だ。

 

例えば、

三頭山 「ハシリドコロ」

武甲山 「セツブンソウ」

雲取山 「フシグロセンノオ」

 

などなど。

 

各山の文章は3から4項に収められているが、必ず選んだ花の愛らしいカットと地図が添えられている。

花の百名山02.jpg

各山のページに愛らしい花のカットが添えられている

 

勿論、その花だけが咲いていたわけではなく、他に多くの花が咲いていたことも一緒に書き連ねているが、どうして代表花としてそれを選んだのか? それは著者に聞いてみないとわからないが、どうもその山で初めて発見された花や、特にその山でしか見られないような花を選んだわけではないようだ。印象に残った花といったところだろうか。

 

わたしはそこにこの本を読む楽しさがあると思っている。そして著者がなぜその山にその花を選んだかは、実際にその花の咲く時期に登って、自ら感じるしかないと思っている。

 

こういうこと(その山の花を選ぶ)は、個人差が大きく出るものだろう。著者も押しつけがましく「セツブンソウ」が武甲山の花だと言っている訳ではない。石灰質を好む植物のひとつであるにすぎない「セツブンソウ」が武甲山に咲いていたと言っているだけだ。武甲山の花なら学術的には武甲山で発見された「チチブイワザクラ」のほうがよほど貴重でめずらしく、武甲山の花だという感じがするが、それでは花の図鑑になってしまう。

 

また、田中澄江は、雲取山は「フシグロセンノオ」としている。これを読んでいる方は「フシグロセンノウ」という花の名前を聞いてどんな色の花か想像できるだろうか。......ネットで検索していただきたいが、それは鮮やかな朱色なのだ。大きい朱色の花が山の道すがら咲いていると、とても目立つ。私は、見た瞬間、「なんだこんなところに帰化植物が進入している」とまず思ってしまった。しかし「フシグロセンノオ」は日本の固有種なのだ。

 

私は木曽の御嶽山の山懐「開田高原」(かいだこうげん)で初めてこの花を見た。色が強烈で、咲いている様子が未だ頭の中に残っているほどだ。だから、私にとっては雲取山は「フシグロセンノオ」と言われても、あまりピンとこないし違和感さえある。実際「フシグロセンノオ」はその後各地で見かけた。山と花の関係は、個人個人そんなものである。

 

もうひとつ上げれば、三頭山は「ハシリドコロ」と田中澄江は書いているが、私の「ハシリドコロ」は若葉の頃の両神山の花である。この花はみずみずしい葉っぱの下に、地味な赤茶けた花をぶら下げる草で、毒草であることでも有名だ。この草を食べると笑いながら走って行くと、山仲間から聞かされた。この花もあちらこちらの林床に咲く花で、なにも三頭山に限ったものではない。ただ、田中澄江がなぜ三頭山に「ハシリドコロ」としたのかは、確かめてみたいところだ。

 

幼いころに父親を失った田中澄江は、父の思い出とともに1番の山として「高尾山」を挙げている。以降、さまざまな山が紹介されているが、40年以上山に登ってきた私にも名前さえ聞いたこともないような山もある。残念ながら登った時期にかかわる情報は整備された形では記載されていないが、大学教師、劇作家、小説家、マスコミでの活躍など、忙しさがしのばれる中でよく広範囲に登られたと感心する。

 

紹介されている花も、よくある山の花図鑑などで紹介されているような花から、聞いたこともないような花、例えば、「ホソバコガク」「ウケラ」「リンネソウ」「テイショウソウ」「オタカラコウ」「オサバグサ」「ワチガイソウ」「カキラン」などなど。名前さえ知らず。ましてやその姿形、色さえ、脳ミソのどこを探しても見当たらない。今はネットで検索すればすぐに情報が得られるであろうが、どうしてこのような花を挙げ、しかも咲いているところを確認したのか。それとも偶然見つけた花を帰ってから調べたのか。いずれにせよ、冒頭にも書いたが、田中澄江がどうしてこれらの花を挙げたのか、そこに彼女の非凡さを感じる。

 

 

 

 

 

(熊五郎)

 

コメント(2)

  • ほとんどわからないです。セツブンソウだけはブロ友さんの素敵な写真で拝見しましたけれど。 (agewisdom) 2017/4/7(金) 午後 6:34

  • > agewisdomさん 知るきっかけがないとなかなか頭の中の花の数は増えませんね。花を見つけてかわいいと感じて、その花の名を知りたくなる。それが自然な形で花を愛でるということのように思います。それにしても花の和名はどこかゆかしいものですね。(熊五郎) 2017/4/7(金) 午後 8:04

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