上州路旅日記集 みやま文庫

投稿日 2017年03年31日

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群馬県には群馬(上州)の貴重な情報を発信してくれている出版社がある。

 

それは「みやま文庫」。群馬県内の図書館を訪れると、地域の本コーナなどにみやま文庫の本が並んでいることがある。

 

会員制のようで、年会費を払うと会員価格で年数回の配本を受けることができるようだが、非会員でも高くなるが購入は可能なようだ。

 

群馬の歴史や風土、文化、文学、民族、信仰、地理/地形、植生など多岐にわたる。

 

私はこれらの本で群馬県の山を登山するにあたって役に立つ情報を得たいと常々思っている。

 

特に、明治、大正、昭和初期あたりの群馬県内の街道の様子、登山ルートとその形式などの情報は、登山する上で貴重な情報になる。温故知新といったところか。

 

その中で手にした一冊、

 

  「上州路旅日記集」荻原 進編 みやま文庫37 昭和45年3月31日発行

 

を読むと、大正から昭和初期にかけての登山(山旅)の様子がありありと伝わってくる。

 

これは編者が群馬県に関わる紀行文を集めて精査したもので、正岡子規、高畑棟材(山岳家)、大田南畝(蜀山人)、大町桂月、藤島敏男/森 喬(山岳家)、若山牧水、田山花袋、など著名な人たちの紀行文が収録されている。

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個人的には、中でも、

 

高畑棟材 「晩春の神流川上流へ」

藤島敏男/森 喬 「上越境の山旅」

若山牧水 「静かなる旅をゆきつつ」

 

は、大変興味深く読んだ。

 

高畑棟材 「晩春の神流川上流へ」

 

大正10年の5月末、東京に住む著者が、上野から汽車で高崎へ。高崎で軽便鉄道に乗り換えて終点下仁田で降り、徒歩で今でいうところの西上州に入っている。

 

馬糞と埃まみれの磐戸を過ぎて檜沢岳山懐から大入道を経、塩之沢峠を越えて神流川上流部、いわゆる山中領に降り立ち、さらに白井から浜平に至って、鉱泉に泊まっている。目的は神流川上流部を三国山辺りまで詰めることであったが、現地人がやめたほうがよいというので、急きょ諏訪山登山に変更した。

 

翌朝案内を頼んで諏訪山に登っている。そのルートは判然としないが、今の湯の沢からのルートではないようだ。諏訪山登山を無事に終え宿に戻って、翌、白井から神流川沿いの道を下り、万場で泊。翌、気奈沢から投石峠経由で西御荷鉾山に登っている。西御荷鉾山から、ルートが判然としないが鮎川に下り、鮎川沿いに吉井辺りに出て、軽便鉄道で高崎から帰途についている。

 

今でも残っている地名が多く出てくるので、地図を見ながら著者の歩いたルートを追ってみるのも楽しい。

 

 

藤島敏男/森 喬 「上越境の山旅」

 

これは「山岳」第16巻第3号に収録されたもので、上越本線がまだ全通していない大正9年(清水トンネルの完成で水上-越後湯沢間が開通したのは昭和6年)の初夏における谷川岳の紀行である。藤島、森両氏は六日町から徒歩で土樽村に至り宿泊。宿にガイドを頼んで仙ノ倉に向け入山。一行は仙ノ倉谷から毛渡沢に入り、まだ残雪のあるシッケイ沢からシッケイの頭を経て、仙ノ倉山(2026m)に登っている。このルートは現在でも少し古いガイドブックに紹介されていたルートで、一般登山道ではないが、今でも登られている。

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一行が辿ったシッケイ沢から仙ノ倉山ルート(想定)

イイ沢(青ライン)を下る予定が、赤ラインのダイコンオロシ沢を下ってしまった

古い谷川岳のアルパインガイドにシッケイ沢が登りやすいスラブであること、

イイ沢が下降に使えることなどが紹介されていた

(イイ沢の下降は9月以降でないと残雪があり危険)

 

下山はシッケイの頭付近まで戻り、仙ノ倉谷側に下っているが、ルートをとり間違え、今でいうイイ沢を下る予定を、入り口を間違えてダイコンオロシ沢を下ってしまい、手ごわい滝の下降に見舞われて、やっとの思いで仙ノ倉谷に降り立ち土樽村に戻っている。

 

ちなみに私は同じルートを登り、うまくイイ沢を拾って下降したことがある。(現地は一面の笹原で迷いやすいと言える。私は事前にイイ沢を登り下降点を確認しておいたので、間違えることは無かった。)

 

翌、一行は万太郎から茂倉、一ノ倉、天神から谷川温泉に降り立って泊。翌、沼田で藤島と森は別れ、藤島氏は赤城山へ向かい、森氏は帰京している。

 

若山牧水 「静かなる旅をゆきつつ」

 

牧水は上州をこよなく愛したびたび歩いているようで、多くの上州紀行の中から、ここに収録されているのは、大正7年に渋川から伊香保、沼田、水上、湯檜曽、谷川温泉、中之条、吾妻渓谷、川原湯温泉、軽井沢と広範囲に旅したときのものだ。これは登山紀行ではないが、旅好きの牧水がいかに金策して旅に出かけていたかも含め興味深い内容だ。そういえば吾妻には牧水の歌碑が点在する。

 

 

これらは単なる紀行文ということではなく、山に登るものにとっては貴重な情報源と言える。鉄道は今ほどに発達しておらず、林道や登山道も今ほどには整備されていなかったであろう。このため登山(山旅)の方法は、大まかなルートを決めて現地に入り、地元の宿などで情報を得て、道に詳しい案内人(ガイド)を頼むというスタイルだったようだ。荷が重ければ荷夫を頼み、峠で返すという形だ。鉄道は積極的に使われているが、今よりアプローチは長く、多くを徒歩で移動している。多くの地名が今の地図にも残っており、宿場や山里、峠などが今でも確認できるのは、嬉しい限りだ。山の頂からの展望に歓喜の声を上げたのは、今と変わらない。

 

 

 

 

(熊五郎)

コメント(2)

  • 面白そうですね。牧水や花袋の文章読んでみたいです。 (agewisdom) 2017/3/31(金) 午後 9:30

  • > agewisdomさん 田山花袋については、「花袋紀行集」に渋温泉から渋峠を越えて草津温泉に出たときのもの。浅間山横断記などが収録されています。花袋も結構山を歩いているようです。牧水については利根奥部水上から吾妻への旅行記が収録されています。(熊五郎) 2017/4/1(土) 午後 9:57