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雪の赤城山を銚子の伽藍へ 

2014年12月6日 晴れ時々曇り、上部は時々降雪(粉雪) 2名

投稿日 2014年12月08日

全国的な寒波襲来で、赤城山も豆大福のように粉をふいているように見えました。数日前に雪が降ったようです。

 

先日の小春日和登山に味をしめて、最近お気に入りの赤城山ですが、たった二週間で冬山と化していました。

20141206_赤城銚子の伽藍8.jpg

「大猿山乃家」から「つつじが峰通り」、「銚子の伽藍」、「茶の木畑峠」 周回ルート

カシミール3Dで作成 国土地理院地図より

(岳人岩尾根は仮称)

 

大猿山乃家:8:35

滝見処:10:42

さねすり岩:10:46

横引き峰との合流点:10:57

銚子の伽藍:11:20

茶ノ木畑峠:12:00

追分:12:19

岳人岩手前(昼食): 12:25 - 12:45

岳人岩:12:50

梨木への分岐:13:43

大猿山乃家:13:54

 

今回とったのは、「大猿山乃家」から「つつじが峰通り」の尾根を登り、「銚子の伽藍(ちょうしのがらん)」を見て、「茶ノ木畑峠」から岳人岩尾根(仮称)を下って、大猿に戻るルートです。

20141206_赤城銚子の伽藍1.jpg

 つつじが峰通りを登高中のYさん

つつじが峰通りの尾根は少し痩せた明るい雑木の尾根

一部崩壊地には注意が必要

上部はミヤコザサの気分のよい道

 

「長七郎山」にも登る予定でしたが、上部(「横引き峰」付近)がまるで真冬の様相。この寒さじゃ絶対温泉に入って帰りたいというのがあったので、今回は「長七郎山」をカットしました。

 

春ならつつじのトンネルになるであろう「つつじが峰通り」。おそらく5,6月ごろは別天地でしょうが、今は枯れ葉さえ付いていません。

 

日差しがあっても、寒さのせいで霜柱が融けず、踏むとバリバリ。おかげで滑ることなく歩けました。下山時でもまだ凍ってたので、この日はやっぱり寒むかったんですね。

20141206_赤城銚子の伽藍5.jpg

外輪山の一角がV字に侵食されている「銚子の伽藍」

「つつじが峰通り」の上部より

山はこんなに殺風景

 

登るにつれて雪が現われました。予想通りの積雪だったので、こんなもんだろうと思いながら歩いていると、滝見処の小さな看板。眼下に小さく滝が見えます。この滝は「不動大滝」ではなく、かなり上流部の滝です。この上にすぐ「さねすり岩」があります。

20141206_赤城銚子の伽藍9.jpg

「さねすり岩」と太田蜀山人の歌碑

確かに右へ狭い岩の間を通過するので脛を擦るかもしれないが、

蜀山人は形から歌をよんでいるのではないか。

 

「さねすり岩」は、溶岩の出っ張りのように見えますが、ぱっくり口を開けています。狭いところを通過するので脛を擦りそうになります。まさに「さねすり岩」です。

 

ここには「太田蜀山人」(おおたしょくさんじん)の歌碑(狂歌)があり、こう刻まれています。

 

 「さねすりの 岩を跨ぎて 紅つつじ
     麓の茶屋の たぼ(若い女性)のゆもじ(襦袢)か」
 (ネットから拝借)

 

なにやら色っぽいですが、少なくとも「さねすり岩」を単に通りにくい岩とは見てはいませんね。パックリ開いた岩を通るのではなく跨(また)ぐ。そこには紅つつじ。それは女性の襦袢じゃないかと言ってる訳ですが、みなさんはどう解釈されますか?私は現地に行かないとつくれない歌だと思っています。気になる方は現地で岩を眺めて実感してください。標高約1300mくらいですが!

20141206_赤城銚子の伽藍2.jpg

つつじが峰通りと横引き尾根の合流点

左にとれば銚子の伽藍

 

「さねすり岩」を越えて、「横引き峰」に出るころにはすっかり雪山。まだ本格的な積り方ではないものの、冬山と化していました。上越方面から「地蔵岳」を越えてやってきた寒風が身にこたえます。粉雪も降りましたが、陽がさすこともありました。

 

今回の目的は「銚子の伽藍」を訪れること。これは火山の外輪山の一角が水によって浸食された地形です。

20141206_赤城銚子の伽藍3.jpg

外輪山の内側から見たV字型侵食

「銚子の伽藍」のすぐ上から

 

名前のとおり、お銚子にお酒を入れるときのように、細い溝のようなところに、水が吸い込まれています。落ちたら大変です。

 

火口湖である「小沼」の水が「ガラン沢」となって流れ出ており、その水が「銚子の伽藍」から外輪山の外に出て、「粕川」となって流れ落ちています。

20141206_赤城銚子の伽藍4.jpg

銚子の伽藍

ここで「ガラン沢」がお銚子に酒を注ぎ入れるように、水が吸い込まれていく

「ガラン沢」の水源は小沼

ここを通過すると「粕川」と名を変える

 

昔、赤城山には大きなカルデラ湖があったのですが、中央に「地蔵岳」が出現し、カルデラ湖を3つくらい(今の大沼のほか、新板平湖、オトギの森湖)に分割したようです。そのうちのオトギの森湖は「ガラン沢」による「銚子の伽藍」からの放水によって消滅し、「オトギの森」になったようです。今の「ガラン沢」の水源は「小沼」になっています。オトギの森一帯の半分は「ガラン沢」によってえぐられたような地形に見えます。

 

オトギの森湖が決壊したときの様子を想像しただけでも楽しいです。カルデラの周りの外輪山が大きく浸食されてしまっている地形はよくありますが、今まさに決壊して侵食されつつある地形は大変興味深いと思います。今後どのような地形に変化するのでしょうか。

 

いずれにせよ、外輪山の一角がV字型に切れ込んで、そこに水が吸い込まれるようになっている地形は、一見の価値があります。

20141206_赤城銚子の伽藍6.jpg

「茶ノ木畑峠」から下り、「追分」「岳人岩」を通過すると

雪が消え、「梨木」への下降路を示す看板がある

 

「岳人岩」から50分ほど下ったところに梨木方面への分岐を示す看板がありました。興味をそそります。

 

赤城山南面の植生は、ミズナラ、ダケカンバ。低木はツツジ。一部唐松、ブナ。林床にはササがこの季節でもうす黄緑色のじゅうたんの様です。

 

ササは今回の範囲では「横引き尾根」、「茶ノ木畑峠」付近、尾根筋や斜面、大猿付近など、ほぼ全体的に分布しています。赤城山の地形と植生などの情報を見ると「ミヤコザサ」とのことです。微妙な見分けは私にはできませんが、明確に言えることは、「岳人岩尾根」(仮称)の中間部から少し下あたりの数百メートルに明確に「ミヤコザサ」ではない他のササが分布していたことです。しかも「ミヤコザサ」からそのササに代わるとき、不思議にも数十メートル、ササが全く生えていない、いわば緩衝地帯のようなものがあったことです。植生って不思議です。

 

野鳥はかなり下ったところで、ほっぺの白いカラの類の小鳥が群れで鳴きながら移動してましたが、姿を見たり、鳴き声を聞いたりはこれだけ。おそらく里に下りているのでしょう。

 

今回は上部に予想外の積雪があり時間切れで「長七郎山」をあきらめました。さすがにこの季節に登る人はほとんどいないようで、一日中誰にも会わず。花もなければ風が渡る緑もありません。そんな殺風景な山でも、山自体が味わえれば満足な、われわれ山屋です。

 

帰りに「滝沢温泉 滝沢館」によって温泉に浸かり、暖まって帰途に着きました。滝沢館は囲炉裏がある落ち着いた雰囲気の秘湯でした。

 

「オトギの森」はつつじの咲く5、6月ごろに、訪れたいと思っています。

 

 

 

(熊五郎)

 

コメント(2)

  • 山のことはわかりませんが、地名っておもしろいですね。昔の人の発想がたのしいです。 (agewisdom) 2014/12/8(月) 午後 3:52

  • そうですね。面白い地名にときどき出会います。銚子の伽藍の銚子は、水が穴に吸い込まれるような地形を言っているのは記事に書いたとおりです。伽藍はおそらく、その周りが壁に囲まれており、閑静な場所ということからではないかと推測します。(熊五郎) 2014/12/8(月) 午後 9:01

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