中公新書にみる谷川岳

投稿日 2009年11月29日

中公新書 200 「谷川岳」生と死の条件 瓜生卓造著 初版昭和44年9月 は、いまは絶版である。

 

谷川岳は、昭和41年12月 一ノ倉の岩壁の他、一部に「谷川岳遭難防止条例」が施行され、登山届け無しに登ると罰則が課せられる。あまりにも遭難が多いからだ。 

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中公新書「谷川岳」



「魔の山」「墓標の山」と呼ばれる谷川岳。

 

現在の遭難者の総計は何人であろうか。

 

この本が書かれた時点では500人余り。

 

ひとつの山でこれだけの死者が出ている山は、全世界を見ても類をみない。

 

土合の「山の鎮」の墓標に刻まれている遭難者の名前の多さには驚かされるが、かつまだ多くの余白が設けられているのは、今後の安易な入山への警告であろうか。

 

昭和25年11月初旬の東芝パーティーの遭難
昭和35年5月下旬のマチガ沢一ノ沢 ベルト切断遭難
昭和35年9月19日の一ノ倉沢衝立岩のザイル宙吊り遭難

 

他、多くの悲惨なドラマが紹介されている。

 

東芝パーティーの遭難後、二度と悲惨な事故が起きないようにと稜線に250m間隔で建てられた指導標。

 

そのうちのいくつかは今も残っている。

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稜線に残る指導標 仙ノ倉岳付近



ところで、上越線の開通が昭和にずれ込んだのはなぜか?

 

その理由は言うに及ばず、国境稜線の谷川岳の存在だったようだ。

 

この信濃川と利根川の日本の二大河川を分ける、文字通りの分水嶺を越えるには、

 

清水トンネルと、2つのループトンネルが必要だった。

 

明治26年 碓氷峠に26個のトンネルとアプト式が開通

 

明治36年 当時最長の笹子トンネルが開通

 

日本の主要路線はほとんどが開通していた中、上越線の開通は昭和6年9月1日と遅れた。

 

群馬県側 湯檜曽と、新潟県側 土樽の2つのループは、うっかりしていると通過に気づかないが、

 

コンパスを持って乗ると、ぐるっと一周しているのがわかる。

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ザイル宙吊り事件  ライフル射撃でザイルを切断し遺体を回収した



昔、今の一ノ倉岳が谷川岳と呼ばれていたらしい。

 

一ノ倉岳や、武能岳、そして国境稜線を苦労して踏破した先人。

 

急峻な岩場のルートを開拓したつわもの。

 

それらをやさしく迎えたであろう法師温泉、川古温泉。

 

多くの登山者は、その急激な天候の変化に驚き、惑わされ、そして命に関わる体験をした。

 

現在の仙ノ倉の真新しい木道を辿る人や、ロープウェイの駅から谷川岳を眺める人は、そんな谷川岳の歴史や悲惨なドラマを、頭の片隅にでも置いているだろうか。

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紅葉の一ノ倉沢 このように稜線にガスがかかることは稀ではない



 

この本が絶版となって久しいが、ぜひ再版され谷川岳に登る人に読んでほしい。


 

(熊五郎)

 

コメント(2)

  • 山のことは何もわかりません。肺活量が少なく山登りは苦手でした。井上靖の「氷壁」を読んだことがあるくらいかなあ。直接関係ないかも知れませんが、横山秀夫「クライマーズ・ハイ」も山に関係していましたね。なんか入り込めない世界を自分の中に持っているという感じがするのが山男です。 2009/11/30(月) 午後 10:23

  • agewisdomさん、

    ただ山に惹かれるままに、勝手気ままに生きているのが山男かも知れませんね。気がついたら山を歩いている。山の余韻で普段を生きていて、人の気持ちの入る余地がない。私も家族をもって勝手気ままとはいかなくなりましたが、「山ごころ」だけはいつまでも持っていたいと思っています。(熊五郎) 2009/11/30(月) 午後 11:43